①『婦人之友』昭和20年4月号
②『婦人之友』昭和19年3月号
③『婦人之友』昭和19年3月号
④『婦人之友』昭和19年3月号
⑤『婦人之友』昭和20年4月号
⑥『婦人之友』昭和20年4月号
①は、3月10日の東京大空襲の直後に書かれ、4月号の『婦人之友』誌に掲載された、羽仁もと子の巻頭文である。「人事を尽くして天の大道を行く」と題されたこの文で、羽仁もと子は次のように述べている。
「ともすれば一刻も安き心地のない時が来ました。今無事だと思つても、何人の上に何が起るか分らないからです。しかも我々はその不安の中にゐて、何れの時代の日本人もいまだ嘗て経験しなかったほどの自信と落ち着きをしつかり持ってゐなくてはなりません。不安に駆られて浮足立てば、あらゆる面で敵に負けるにきまつてゐるからです。驕る大敵を打破る力は、唯ほんたうの自信と落ちつきから出て来る余裕と冷静さを以て、各家庭各職域において、一人々々目覚めるばかりの活動をしつゞけること、唯そのことばかりです。国民悉く特攻隊になることです。」※羽仁もと子は、あの悲惨で非人道的な東京大空襲を経験しても尚、このように呼びかけるのである。「戦争をしてゐれば有利なこともまた不利な場合もある筈です。その度に一喜一憂、揣摩憶測やさまざまの見透しをつけようとするのは間違ひです。人の心と人の力の要らざる消耗になるばかりです。浮足立つとはそのことです。誡めなくてはなりません。」※要するに、この先どうなるのかなどと心配せず、人事を尽くして天命を待てと言うのである。
「天は我々にその大道示して、お前達の歩むのはこの道だ、この道だと知らせてゐると同時に、極く手近いことにはさまざまの前兆を見せて下さいます。」「神のみ業と責任と慈愛の中に生き、その大道と近き兆を示されて、そこから思う存分に考へ思ふ存分に働いて行かれるこの生命です。心から天を信じて、神のなすべき領分を神に任せ、人のなすべき領分を領分を本気になつてすればよいのです。」※羽仁は最後にこのような言葉でこの文を結んでいる。
「勝つか負けるかの心配はいりません。勝つための天の大道を行けばよいのです。いつ勝てるのだらう、それは神様にお任せして、どこまでも唯勝つための努力をしませう。神の意志と経綸によつて創り出され、数千年来養はれ育まれて盛んになつてゐるこの国この民族です。悔いべきを悔い改むべきを改め、無力は必ず有力にして、どうかこの国を護りたまへと祈り求めることが、どうして聴かれないことがありませう。神によつて与へられた宿命を信じて喜び、この国に生まれたものが心からこの国のためにすべてを献げることが、天の大道だからであります。山の如き自信と、海のような豊かな心で超人的な敢闘をつゞけませう。」
羽仁もと子のこのような言葉は、戦時下の行為は総て悪であり暗黒であったとする「戦後的な思考」からすれば、「悲痛な叫び」や「愚かであさはかな祈り」としか思えないかもしれない。しかしながら、私は、羽仁もと子のこの揺るぎない「信仰心」の中に、かの戦争を戦った日本女性の真の姿を見出すのである。
②は、疎開についての対談である。この対談では、疎開について都市住民の理解が得られず、なかなか進まない現状を憂いをもって語られて」いる。
③④は、本土への空襲がまだ本格的でなかった昭和19年初めの家庭での防空体制での例である。
⑤⑥は、東京大空襲後の防空壕の建て方とその生活についてのアドバイスである。
このブログは今回で終えることにしたい。日本が「大東亜戦争」と名付けたあの戦争は、女性によって戦われた戦争でもあった。家事・育児・出産、隣組による協力、食糧生産、工場労働と・・・女性による献身的な努力なくしては戦えない戦争であった。この戦争を通して日本の女性は家庭だけではなく職場や社会でも活躍することとなった。正に、戦時下の日本の女性は輝いていた!のである。