決戦憲法関ヶ原歴史編のblog

ニーチェ哲学的見地によれば、「憲法9条」を頑なに墨守する思考は、一種の「宗教」であると言える。私は、日本と日本国民を敵としない「憲法学」「歴史学」を追究する。

2019年11月

 さて、このブログの最後に、敗戦後の東京商科大学がどのように変わっていったのかを見ていこう。
 まずは、インターネットの「如水会ニュース」に投稿されていた「戦時体制下の学問と教育」には、戦時下の概況が次のように記されている。
 「1941ー45年の正味三カ年半は、狂気の時期であった。今から想えば、それは暗い谷間の時代であるけれども、その当時の人たちは、少なくとも表面では「大本営」発表を信じて戦況に一喜一憂し正面から戦争反対を唱えた人たちは、それが大学教授であれば(東大の矢内原忠雄氏のように)職を失う運命にあった。この時期を自分の眼で見ることのなかったリベラル派の上田貞次郎氏のような人でも、十五年戦争が開始したときには、「開戦には賛成できないが、始まった以上は勝たねばならない」と日記に記したのである。太平洋戦中にキャンパスを護り抜いた教授陣も、何らかの形で軍政の執行に(陸海軍の委員会メンバーに連なるなどの形で)協力的な姿勢見せざるを得なかった。」
 いやはや、それにしても「言い訳」にもならない虚言としか言いようがない。あの時代は「暗い谷間」の時代だった。内心は戦争に反対だったが、協力の姿勢を見せなければならなかった。これは正に丸山真男流の「インテリ擁護論」である。しかし、私たちが既に見てきたように、東京商科大学が、中山伊知郎を始めとして、自ら進んで「大東亜戦争」に協力し、積極的に関わっていいたことは、「戦時文献学」的考察から明らかである。私は、そのこと自体を非難したり、否定したりするつもりはない。
 だが、敗戦により状況が一変するや、たちまち変節し、戦時下の言動を「あれは軍部のせいだ」となにもかも軍人・軍部に「戦争責任」を押しつけようとするこの姿勢こそ、「戦後民主主義の虚妄」というべきだろう。
 「如水会ニュース」は、前回までのブログで取り上げた『経済戦略と経済参謀』(ダイヤモンド社)について、次のように述べている。
 「戦争末期の日本政府は、高等商業教育の必要性について否定的であつたその圧力に耐えるためには一層の戦争協力姿勢(ジェスチャー)が必要と思われた。この必要に応えるために設けられた研究グループが経済指導者研究室である。このグループは米谷(まいたに)隆三教授(商法学)の許に教宣活動を展開し、その成果の一つとして小冊子『経済戦略と経済参謀』(1944年)を公刊している。おそらくこれがひとつの背景となって、米谷氏は戦後に教職追放の対象となり、大学を辞任した。」
 「経済指導者研究室」が、「戦争協力姿勢(ジェスチャー)が必要」のため設立されたとか、「このグループは米谷隆三教授の許に教宣活動を展開」したなどと言うのは、事実をねじ曲げるものである。
私たちが既に検討したように、「経済指導者研究室」は、「このグループ」などと言うような大学の一部の活動などではなく、ましてや「教宣活動」などでは全くない。正に髙瀨学長を始め、東商大を挙げての事業であったのである。
 さて、ここで、米谷隆三の教職追放について触れておこう。「如水会ニュース」によれば、「経済指導者研究室」や「冊子」が教職追放の原因になったというのだが、それならば、何故、室長を務めた中山伊知郎が不適格者とは認定されなかったのだろうか?他に東商大からは、金子鷹之助、常磐敏太が教職追放となっている。なぜ、この三名が教職不適格となって追放されたのか?その基準が全く分からない。
 要するに東商大は、この三名をスケープゴートにすることで、GHQの追究をすり抜け、一橋大学と看板を塗り替え、戦時中に培った「政財界の人脈」をフルに活用しながら、日本を代表する「経済系大学」となった。正に、東京帝大と並んで「戦後利得」大学と言えるのである。
 

 今回は、「第三章 経済戦略について」を読んでいくことにする。

 中山は、「経済戦略」の定義について、次のように述べる。
 「経済戦略と云ふのは戦争経済を目標とする闘争の要求、手段、指導原則に付いての体系を云ふ。さう云ふ闘争がどう云ふ要求をもつか。それが如何なる手段に依つて行はれるか。その要求と手段とを結合した指導原則は何であるか。斯う云ふことが経済戦略の主たる問題になるだらうと思ひます。」(p45)
 中山は、以上の点を踏まえ、「総力戦」が「初めから一つの総力を具現するところの戦争」であることから「経済戦」「思想戦」「政治戦」は、その一面に外ならないことを強調する。このような戦略の全体性は、「第一には各種戦略間の相互依存関係として現れ」「第二には手段の相互依存関係」として現れるという。
 しかし、中山は、このような各種戦略間が、「手段の相互依存関係」にあるとしても、「経済戦固有の闘争手段は何であるかを」考えて置く必要があるとして、「敵の戦争経済の攻撃に用ひられる経済手段」として、「特殊の対外経済活動」を挙げる。つまり、対外経済関係、貿易関係、通商関係・・・は全て攻撃手段となり得るとして、注目すべきものを三点挙げる。
※今、米中間で繰り広げられている「貿易戦争」は、唯単に「貿易摩擦」の延長ではなく、「本物の戦争」が既に始まっているのだと捉えなければならない。
  
   ①ダンピング ②貿易の独占 ③通貨管理
 
 中山は、「攻撃手段」に対して「防衛手段」を四点挙げている。

   ①資源の確保ー特に重要なのは、必要現在量の貯蔵の調査、特に戦略資源の調査
   ②輸送路の確保と輸送力の強化ー船舶の問題はその中心をなす
   ③労力の確保、賃金政策、労務管理、戦時労力確保の全体を指す
   ④インフレの防止ー公債の消化を図り、貯蓄を促進する、貨幣に対する信頼度を強化する
  
 以上の点を踏まえ、中山は「攻撃的な経済戦略」について「経済戦に於ける直接の目標は、今述べたやうに敵の戦争経済の破壊にある。」(p55)とし、最も重要な手段は「経済封鎖」であると述べる。「経済封鎖と云ふのは敵の戦争経済を、その対外通商関係から遮断して之に依つて敵国経済の抗戦力を弱化し、遂には之を崩壊に導く一切の手段を表象する。」「大規模な近代戦に於て、経済封鎖が経済戦の主要形態になつた理由は二つあります。」(p56)
 その第一は世界経済の発展が、国民経済相互の関係を密接にした為に、世界経済からの遮断そのもが国民経済の活動を萎縮せしめると云ふこと。」にある。「凡そ今日の国民経済の発達と共に、外国貿易関係が密接度を加へつゝある」として、中山はイギリスとドイツの例を挙げ、こう述べている。
 「工業国としての発展は、即ち外国貿易の強化と云ふことになる」「だからさう云ふ対外関係が経済封鎖に依つて遮断されると云ふことになりますと、その遮断の影響は、必ず国民経済に或る弱体化的な作用を及ぼす。特に輸入関係に於ける攪乱は、輸入資材の種類如何に依つては、致命的な国民経済の圧迫を齎す。だから世界経済が斯様な高度な関係にある場合には、経済封鎖は過去の場合よりも、もつと大きな効果を期待させられると云へるのであります。」(p57)
 その第二は、「経済及び技術の高度化が、所要原料の範囲を非常に拡大します為、如何なる国家と雖もその原料資源の全部を自給するものはないと云ふこと」である。「戦略資源の種類が近来の戦争の規模が大きくなり軍需生産と重工業生産とが同時化されると云ふやうな体制になつて来ますと、非常に大きな数量に上らざるを得ない。従来はさう云ふ戦時資源の最大のものは殆んど食糧に限定されて居ましたが、今次のやうな総力戦になりますと資源戦の資源はむしろ重要な鉱物資源の全部を示すやうになる。だから経済封鎖によつてその資源の取得を封鎖することが出来れば、その効果は大きいことは申すまでもありますまい。」(p57)
 このような二つの理由から、中山は「経済封鎖こそ、経済戦の最も有効な手段と言はなければならない。」と言う。ただし、「広域経済圏」が成立すれば、「経済封鎖」の威力は減少すると期待を込めて述べる。
 次に、中山は、経済封鎖にはどういう手段あるのかという問題について、まず、「経済封鎖」には三つの段階があることに注意せねばならぬと言う。
 第一に、「紙上封鎖」と呼ばれる段階である。これは、「主として敵性物資の範囲を法律的にきめて、是等のものを敵国に輸送することを遮断しようとする段階であります。」(p58)
 第二段階は、「実力を発動して事実上一国を封鎖状態に置くことであります。」(p59) 
 第三の段階は、「直接に通商路を破壊する」ー「主として海軍力を以てする通商路の直接的破壊であります。」
 さて、次に中山は、「攻撃的経済戦略経済戦手段として考へられるものは固より経済封鎖だけではない。」(p60)として、「武力に依存する他の破壊手段」を二つ挙げている。
 第一は、「所謂消耗戦術と云ふものをあげることが出来る。」と言う。「是は自ら物質の強大な消耗を伴ふ攻撃を行ふことに依つて敵にも同様な消耗を要求する、これによつて、敵の戦争経済力の消尽を狙うものであります。」(p60) 
 第二は、「直接武力に依る敵戦争経済の破壊と云ふものをあげることが出来る。」「これは現時の大戦に於て特に顕著な工業都市の爆撃に示されてゐるものであります。」

 次に「防御的な経済戦」について中山は、こう述べている。
 経済封鎖に対する自国経済の防衛の方策は、経済封鎖の目的自体から、自ずから二つに別れる。 
 ①対外的には、経済封鎖の網を打破すること、②対内的には経済体制を強化して、自国力を増加し、以て経済封鎖を無効ならしめることである。

 ①対外的経済封鎖を打破する手段としては、経済封鎖が実力を以て行はれる以上、武力を以てしなければならないが、しかし、経済的に中立国、若しくは友好国を獲得することも又有効である。
 ②対内的経済封鎖を無効ならしめる対策というのは、代用品の発明による技術の促進労働者の能率増進未開資源の開発経済機構の戦時再編成による生産力の増進などが考えられる。

 ただ、中山は「今次の大戦のやうな大規模な戦争に於ては、一国の経済力だけで戦争経済を支へていくと云ふことは、場合に依つて非常に困難である。」(p63)と言い、「之を補充すべき広域圏の建設と云ふのが、必然の要請になつて来る。その意味に於て広域経済圏の確立と云ふのものは、それ自ら最も強力な対経済封鎖の手段である。」として、「戦争と同時に、斯様な形に於ける経済建設が平行して進行しなければならない」と主張する。
 また、中山は「戦争経済に対する直接的侵害に対する防衛、是は攻撃手段が武力であります以上、当然主として武力に依存しなければならない。」(p63)しかし、「経済に対する直接の打撃に対しても経済的手段を以て対抗すべき道が全くないわけでは」ない、と言い、生産工場の分散移転住宅地区の疎開などの例を挙げる。 

 最後に中山は、「経済戦略の運営」について、三つの時期に分けて考えることができると述べている。(p64)
 まず、開戦に至るまでの期間、次に戦争の進行している期間、最後に戦争の終末期の三つの時期である。そして、戦争の終末期にあっては、「広域圏に立脚する自給体制の確立、現に大東亜戦争について申しますれば、大東亜共栄圏の自給圏の確立、さう云ふことが戦争の終末に対して恐らく最も大きな力を持つであらうと云ふことは推測に難くない所であつて、敢て経済力のだけの問題でない。」と中山は述べ、「併しその建設的な内容といふものは、是は主として経済力の運用に依つて得られなければならないので、従つて、その点に於て、経済戦略の一つの重要な面がこの段階にも現れると云ふことを考へえてよいのであらうと思ひます。」という言葉で、講義を締めくくっている。


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 昭和7年の中山伊知郎 ー全集第三集ー 
                                                                                                     
 さて、「第二章 戦争経済の課題」を読んでいくことにしよう。
 「戦争経済」というのは、中山によれば、「絶えず前線の要用に応ずる、さうして併せて戦時国民生活の確保を目的とする経済の体制である。」という定義であった。つまり、「絶えず前線を支持して、さうして消耗があつた場合にはこれを再建する。」(p27)ということである。この課題が、特に近代の総力戦に於いて、特に認められるようになった理由を、中山は二つ挙げている。「一つは近代戦の規模が拡大した」こと、「もう一つは其の兵備が高度化した」ことだという。「戦争規模の拡大、従つて又所要兵員の非常な膨張がありますと、それだけでも既に銃後経済を新しく再編成しなくてはなりません。」(p28)
 「第二の兵備の高度化、即ち戦争の機械化と云ふことは前線に於ける消耗の程度を非常に大きくする。従つて経済に対しては常に其の生産力の強大化の要求になつて現れるのであります。この場合それが単に量的な強大のみならず、質的にも高度の技術的基礎を必要とする点に注目せねばなりません。即ち高度の技術的基礎を確保すると云ふことは、経済的には非常に種類の多い大量の資源を必要とすると云ふことに他ならぬ。従つて、斯様な強大な軍需要求が高度の技術要求と一緒になつて来る場合には、銃後経済の全体を矢張り戦争経済として再編成する必要が起つて来るのであります。」(p28)
 中山はこのように述べ、ポッソニーの考え方を紹介する。
 「戦争らしい戦争を行う為めには、どうしても五百万の軍隊を動員しなければならぬ。所が防御的戦争にせよ、攻撃的戦争にせよ、五百万の軍隊を戦争に維持する為めには、或る比率に於て銃後の労働を必要とする。其の比率は防御的戦争の場合には大体一対八攻撃的戦争の場合は一対十乃至一対十二、斯う云ふ計算をして居ります。」(p29)と述べ、論評を加えている。

 戦争経済の問題の第二は、「戦争経済は何から成立して居るかと云ふ問」である。
 中山の論述において注目すべきは、「基本的な構成要素に就いては戦争経済と云ふものも一般の経済と違はない。」(p37)と述べる一方、「一般的な経済の構成要素に着目する以外に、更に必要に応じては其の視野を拡張して、特に戦争経済に寄与する一切の要素を充足する必要がある。」として「潜在的経済力」なる概念を提出する。
 中山によれば、一般的な経済の場合、経済の構成要素として上げられているものは、既に現実の経済過程に於いて、金銭的に評価され、取引されているものー即ち、既に現れているものに過ぎない。しかし、実際に「経済力を戦力化するに当たりましては、判断の標準は常に貨幣価値より実質価値に置かれるから、従来の要素を考へるだけでは足りない。実際の経済力を戦争経済力に転化するに当たりましては縷々経済以外の要因の作用を考慮しなければならぬ。」(p36~37)
 中山は例として、「企業整備に当たりましては実際の結果は政治力に依存する。政治力の大小が企業整備の効果を左右する。」(p37)ということを考えなければならないと述べ「是等の要因は常時にあつては直接に経済の構成要素ではない。」が、しかし「唯戦時に於て初めて経済力の要素として登場すると云ふ意味に於て之を潜在的な要素と呼ぶことが出来る。」とする。
 では、「潜在的経済力」とはどういうものか。中山は次の六点を列挙する。

 ⑴に、領土の形状並びに位置。
 ⑵に人口の資質。
 ⑶に経済構造。
 ⑷に企業経営の規模並びに独占体制の発展性。
 ⑸には物価或いは貨幣金融問題。
 ⑹に同盟、中立その他の対外関係。 


 以下、上記の六点について、中山の論述の要旨をまとめてみることにする。
 まず、⑴の「領土の形状並びに位置」について。
 土地の形状に関して海岸線の長短ーこれは平時に於いては直接に大きな問題ではない。しかし、戦時に於いては、それが経済封鎖にとって重要な問題になる。
 世界交通に於ける一国の領土の位置、之も平時に於いては貿易船舶関係以外には余り考えられないが、戦時に於いては、交通、特に資源確保の為の海上運送に関して、又空爆に対する防衛価値に対して多大の考慮を必要とする。
 ⑵の「人口の資質」について。
  人口は労働力の供給源泉としては、平時でも経済構成要素の最大のものである。しかし、人口の経済に対する関係は決して量的側面だけには限られない。量的側面では、各種職業間の配分比率都市農村間の配置状態などは、戦時状態では特に重要である。
 一般に戦時統制の運用に付いて統制の徹底化に人口の素質が最も重要な要因である。特に人為的に変化し得る要因として教育の程度、組織、慣習の影響というように非常に広範囲に亙る。
 ⑶の「経済構造」について。
 特に工業生産の地位、工業生産の高度化の程度が戦争経済の根幹を為す。第一次世界大戦に於いて、ドイツが軍需生産力を持ち得たのは、輸出工業国であったからである。つまり、輸出工業が軍需工業に転換する可能性を持ったことである。農業と工業の比率、もっと一般的に云うと経済に於ける各種産業の比率の問題、このような問題の研究は、各国の経済力を比較し、又共栄圏の経済を全体的に考えて行くために欠くことはできない。
 ⑷の「企業経営の規模並びに独占体制の発展性」について。
 戦争経済の能率というのは、戦時に於ける企業の合理化の程度に依存する。この合理化の程度ということは、一面では個々の企業の内部の問題であると同時に他面では、それよりも強い意味に於いて企業集中の問題である。企業単位の拡大が生産能率の増進に多大の効果を持つことは一般に認められているところであるが、平時の独占企業乃至独占組織の発展の程度というのも、この意味で戦争経済の上で重大な問題を提供している。特に、中小工業が非常に多いということを特徴としている日本の経済の場合は、その集中乃至合理化の可能性が重要な意味を持つ。
 ⑸は、「物価或いは貨幣金融問題」について。
 ここでは、特に金融統制の効果を左右する基本的要因を取り上げる。統制技術の巧拙は、第一に問題となる。単に技術の巧拙というだけでなく、統制に対する国民の協力、熱意、それから経済倫理、経済常識の程度、特にインフレーションに対する抵抗力、これらの問題については、従来の経済学の中で取り扱っていた所の物価、金融問題という面以外の面がある。国民性、国民の経済観というものもここで考える必要がある。
 ⑹は、「同盟、中立その他の対外関係」について。
 対外関係というのは、それが生産貿易関係に現れる面については、一般の経済について今までも考慮されている。戦時のアウタルキー(広域経済圏)においては、その関係に特に注目すべき新しい点がある。というのは、戦時においては、輸出入が貿易の利害のみによって調整されない主として与国関係、敵国か与国(味方)かという関係を通じて確保される。

 第三に戦争経済の課題であるが、これは一番重要なことである。課題は戦争経済の内容からして当然二つになる。その一つは「集中」、他は「育成」である。
 「集中」の課題について、特に注意すべき点は、速度である。統制の必要は極めて多く速度の要求から来る。「勿論集中自体にも大きな統制計画を必要とするのでありますが、速度を加へていくと計画的な統制が更に強化されねばならない。」(p42)
 「育成」については、「今日の戦争が本当の意味の総力戦であつて、ストックでは出来ないといふことを考へねばならぬ。」「生産力自体で以て戦はなければならぬことになりますと、一方には戦争を行ひながら、他面に於て経済力の育成をやつて行くと云ふことが非常に重要な問題になる。  

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 中山は、「経済戦」と云うのは、「敵の戦争経済の破壊を目的とし、併せて自国の戦争経済の防衛を目的とせる闘争である。」と定義づける。(p4)その上で、「経済戦と云ふものが総力戦の中で持つてゐる地位、詰り総力戦と経済戦との関係、之を考へるためには一応総力戦とは何ぞやと云ふ問題から遡つて考へて行かねばなりません。」(p5)「今日の戦争は一般に総力戦と云はれて居ります。詰り今迄の戦争が武力中心の戦争であつたとせれば、今日の戦争は武力のみならず、その外の諸力ー此の中には経済力思想力、それから政治力、さう云ふものの総てを闘争手段として使ふところの戦争である。」というのが一般常識となっている。「併し、その総力戦」の本質が今日十分に明白ではない。例えば総動員戦と総力戦とを区別した総力戦の定義はまだ明白にはなっていない。これを明白にするためには「総力戦とは何ぞや」という問題から考えていく必要がある、と中山は述べる。
 そして、中山は、「総ての戦争は総力戦として考へ得る」(p5)という。この立場に立って、クラウゼヴィッツの戦争形態の三つの時代区分を挙げる。

 ⑴古代の戦争ー絶対戦争乃至総力戦の本質が最も明瞭に現れている。
 ⑵中世の戦争ー武士階級、騎士階級ができ、戦争はその階級の仕事になり、絶対戦争ではない。
 ⑶国民戦争 ーナポレオンの戦争は、再び古代の総力戦の本質を回復した。

 以上を踏まえ、中山は、「第一次欧州戦争は正に一度国民戦争に於て絶対戦争に回復された戦争形態をモウ一歩進めて客観的な総力戦にしたものに外ならない」(p10)と云う。だが、第一次世界大戦の場合「戦争の意識が十分に総力戦と称すべきものであつたかと申しますと、これはさうではない。」と疑問を呈する。つまり「第一次世界大戦」は「政府の戦争として始められた」が、「民衆は知らぬ間に・・・その中に引きずり込まれて行った」(p11)という状態であった。
 これに対して中山は、「現代に於ける戦争」=「第二次世界大戦」を「意識的な意味に於いて総力戦」であると主張するのである。即ち、それは「新秩序建設の戦争、或は旧秩序と新秩序の戦ひ」であり、「秩序を戦ひ取ると云ふことは民族の死活を賭すると云ふ」ことであるからである。
 さて、「戦争が一度び総力戦として意識化されることになると、こゝに初めて政治力、経済力、思想力と云ふ様な国家の活動を規定する一定の力と云ふものが、改めて戦力として把握されるやうになります。」(p14)と中山は、云う。「政治戦とか、経済戦とか、思想戦と云ふやうなものが武力戦と相並んで登場すると云ふことも亦此の総力戦の意識化の当然の結果」である。「総力戦意識化の根本は」「戦争規模の拡大、或は兵備の高度化、兵器の発達と云ふやうな客観的な事情だけに由来するものではな」く、「国家死活の闘争であると云ふことの自覚にある。この自覚の下に政治力、経済力、思想力と云ふやうな総ての力が武力と共に戦力として把握されるやうになる。」「だから、総力戦と云ふものは武力戦、政治戦、経済戦、思想戦と云ふやうな」各部分の戦争の合計ではなく、また、各部分の戦争がそれぞれ独立に戦われるものではない。「総てが一元的な総力戦のそれゞれの一面、一側面に外ならないと云ふことを考へなければなら」ないと中山は強調する。
 そこで、中山は、「大東亜戦争」を「国民全体が国家の死活を賭する闘争であると云ふ意識」の徹底した「意識的な総力戦」と捉え、経済戦=戦争経済について次のように定義づける。
 「経済戦の対象は明らかに戦争経済である。戦争経済とは不断に前戦の要用に応じ、併せて戦時国民生活の確保を目的とする経済の体制である。」(p16)
 中山によれば、戦争の場合には「敵、味方ともに存在する所の戦争経済と云ふ体制、之を目標とする所の闘争が経済戦である。」けれども、「現実に敵国の戦争経済を崩壊せしめたり、或は自国の戦争経済を防衛するに執られる手段と云ふものは、必ずしも所謂経済手段だけではない。」として、次のような例を挙げる。
 ・武力を以て経済封鎖を完成する。・政治力を用いて中立国に経済的な圧迫を加える。・思想的な宣伝力を以て敵国商品の不買同盟を作る。・ボイコットをやる。
 これらの手段は、何れも経済以外の手段ではあるが、「敵の経済力の破壊を目的とする」という所から見ると「経済戦」である。防衛についても同様である。「敵の戦争経済が攻撃目標となると同時に、自分の国の戦争経済も敵の攻撃目標となる。」(p17)「その場合に敵の攻撃手段に従って、防衛の手段も違つて来る。」という。
 ・空襲→武力を以て防衛する。・政治攻勢→政治攻勢を以て対抗する。・思想力的な攻勢→思想力的なもので対抗する。
 つまり、「経済戦略だからと云つて経済手段を以つてする所の経済闘争と云ふものだけを考へてゐたのでは、」「総力戦の目的に初めから合致しない」のだという。 
 ところが、このように考えていくと、「面倒な問題」が出て来るという。中山は、ハンブルグの空爆を例に挙げ、次のように述べる。

 ・ドイツの軍需施設を破壊する意味において一つの経済戦であると考へらえる。
 ・ドイツの国土防衛力という意味では、一つの武力戦である。
 ・工場、労働者の生活地域を攻撃して思想的混乱に陥れるという目的から見ると思想戦でもある。

 このような例を挙げながら中山は、「一つの攻撃が何を目標として居るかと云ふことが分からない所に今日総力戦の意味がある。」(p19)「勿論攻撃と云ふものは戦争になれば武力が中心でありますから、何を攻撃するにしても武力である。経済を攻撃するにしても純経済的手段と云ふものは、戦争の中では殆ど認める余地がないと云つて宜い位小さいものになつてしまひ」「敵を攻撃する場合は先づ武力を以つてやるので」ある。「唯その武力が嘗ての戦争のように敵の武力のみに中心を置くのではなくて、凡ゆる面に亙つて居ると云ふ点に実は総力戦の特質がある。」と結論づける。
 第一章の最後に中山は、「武力戦と経済戦の優位関係について考えて行きたい」「経済戦に付いては特に問題をとり上げて見る必要がある。」と述べ、その理由は「近代戦に於て経済の占める重要度が兵備の高度化、消耗増大を通じて非常に大きくなつて来たから」(p20)だという。そこから、「時としては経済戦派総力戦の一環たることを忘れて寧ろ総力戦の基本形態だと考える見方が出て来た。」として、プレンゲやデイックスの主張を取り上げる。
 「第一に経済戦と云ふのは、平時、戦時、両時を通じての闘争である。従って、武力戦と云ふ方は、寧ろ長い大きな経済戦と云ふものゝ一つの表現に過ぎない。」(p20)「第二に従って、又武力中心の戦争と云ふものは、是は既に過去の形態であつて、近代の戦争の特質は武力に対しては経済戦が優位を示すものである。」
 しかし、中山は上記のような「武力戦よりも経済戦を優位とする考え方」に反対する。
 「経済戦を以て強く総力戦の一環と考へて参りますと、凡ゆる経済闘争を以て既に経済戦争であると云ふ考へ方は行き過ぎであらうと思ひます。此の行き過ぎが自ら第二の経済力の優位と云ふ考へ方を生み出して来る。」(p22)これは、第一次世界大戦のドイツの経験を一般化したものであるが、このことから「いきなり経済力を武力の上位に置くという云ふことは、戦争の本質を見誤って居るのだと申さゞるを得ない。」と中山は断ずる。そして、戦争の本質は「経済力」ではなく「武力」であり、上位に位置するものであることを第一章を以下のような結論によって締めくくっている。。
 「経済力の破壊が究極に於いて武力の破壊になると云ふことは、疑ふべくもない。しかし敵の抗戦意識を挫折せしめて、さうして戦争目的を達成せしめると云ふ主要な手段は今日に於ても依然として武力である。特に抗戦意識の放棄、詰り戦争を続けて行かうと云ふ意志の放棄に直接の原因を与へるものは、武力の外に之を求めることが出来ない。現実に経済戦によつて幾ら圧迫しても、武力で最後に叩くと云ふことでなければ敵の抗戦意識を叩くことは出来ない武力以外のものは、戦争に於いては条件付の戦力であります。従って近代の戦争に於て何処迄も経済戦力を武力の上に置かうと云ふことは、一面に於て総力戦の本質を理解せず、他面に於て戦争に於ける経済の地位を理解して居ないものだと思ふのであります。」(p23)
 


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 さて、『経済戦略と経済参謀』(ダイヤモンド社)には、「経済指導者研究室」で行われた、講義のうち、東商大教授による次の五つが掲載されている。

  「総力戦と経済経済戦略」  中山 伊知郎
  「管理工場の運営」     古川 栄一
  「計画交易の問題」     亀頭 仁三郎
  「指導者制と経済参謀」   米谷 隆三
  「企業担当者の創意と責任」 髙瀨 荘太郎

 この五本の講義論文の中で、このブログで取り上げたいのは、中山伊知郎の「総力戦と経済戦略」である。
 戦時下の日本では、海外の「総力戦論」が紹介されたり、日本人学者の手によって「総力戦論」が書かれたりした。そうした「総力戦論」の中でも、今回取り上げる中山伊知郎のこの「総力戦論」は、最も優れたものである。しかし、戦後編まれた中山伊知郎の全集には、何故かこの論文は収録されてはいない。論述は、次の三章に分けて展開されている。

  第一章 総力戦に於ける経済戦の地位
  第二章 戦争経済の課題
  第三章 経済戦略 

 まずは、「第一章 総力戦に於ける経済戦の地位」の概要を辿っていくことにしよう。
 「現在の大戦争がその重要なる一面於て、経済戦であると云ふことは改めて申すまでもありません。「一隻でも多くの船を」「一機でも多くの航空機を」と云ふ声はわれらの周囲に燃えてゐます。然らば戦争のこの要請に対して、経済は如何にして其課題を達成し得るか。茲に経済戦略として述べようとするところは、全体としてこの問題に答へんとするものに外なりません。」(p3)
 中山伊知郎は、以上にように述べた上で、「経済戦」を次の三つに分けて論述を進めている。

 ⑴経済戦の意義ー総力戦の中に経済戦がどういう地位を持っているか。それを考えるためには、経済戦の目標になっている戦争経済の体制を取り上げなければならない。
 ⑵経済戦略ー経済戦の手段にどういう種類があり、どういう構造を持っているかを考え、次に、これを二つに分け、攻撃的な経済戦略防御的な経済戦略の二つの点から問題を展開していく。
 ⑶経済戦略の運営開戦に至るまでの経済戦略、戦争の行われている期間に於ける経済戦略、戦争終末期に於ける経済戦略の三つに分けて論究する。
  

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