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 リング上の「茶番劇」(朝ドラ・エール)に腹を据えかねて、リング上にデストロイヤー乱入。
 自分の作曲した軍歌で多くの兵隊さんの命が失われた。その悔恨のため、一年半も曲が書けなくなったって?嘘だ!古関祐而は、一ヶ月半後には、放送局(つまりNHK)の依頼で菊田一夫のラジオドラマの曲を手がけている。曲が書けなかったのは、軍歌への悔恨や反省からではなく、食糧確保に忙しかったからだ。それにしても、この時代の日本人は、逞しい。
 それにしても何度も言うが、この安っぽい、嘘に満ちたご都合主義の反戦ドラマには、「ラジオ放送」が全く登場しない!おかしい?怪しい?NHKにとって、「大東亜戦争」下のラジオ放送には、よっぽど疚しいことがあるに違いないと勘ぐりたくなる。そこで、「大東亜戦争」下のラジオ放送を調べてみた。
 冒頭の写真は、当時、日本放送出版協会から発売されていたラジオ放送の月刊誌である。これを見れば、当時、どんな放送がされていたか、一目で分かる。

 右側の雑誌「放送」は、昭和17年9月号である。表紙の写真には、旭日旗が翻っていて、なんとも勇ましい。放送内容を見てみよう。

 〇7月27日放送 「作戦に必勝、建設に必成 今ぞ大追撃戦の秋」内閣総理大臣 東條英機
  東條首相の演説が掲載されている。演説は、①「重慶断じて許さず」②「アジヤの回教民族」③「帝国の勝利は不動」④「国民生活を確保」の4点に亘っている。ここでは、①に限って簡単に内容を紹介しておこう。即ちー重慶・蒋介石政権覆滅戦において、敵に大打撃を与えている。また、汪精衛を主席とする南京政府は、我が国の支援と協力の下、着々と成果を挙げている。これに引き替え、重慶政権の抗戦力は、格段に低下している。云々。

 〇7月31日放送 「空から見た南方戦線」企画院第六部第一課長 大久保武雄
 「企画院」とは、昭和13年に設置された総力戦経済=人や物の動きを計画立案する「綜合国策機関」である。大久保課長は、鈴木企画院総裁に随行し、航空機で南方戦線を視察し、「大東亜共栄圏」の建設の意義を語っている。

 〇7月25日放送 「加藤建夫少将を偲ぶ」陸軍中将 河辺虎四郎
  7月22日に戦死した加藤健夫の死を悼み、その功績を称える放送である。加藤健夫については、「エンジンの音轟々と・・・」で始まる軍歌や「加藤隼戦闘隊」として映画にもなった。※私が視たのは、佐藤充主演の「あゝ陸軍隼戦闘隊」の方だが。 

 〇7月9日~11日放送 「伝統と創造」津久井龍雄
  ・戦争の最後の勝敗を決定する要素は、国民が一致して必勝の信念を失わず、最後まで戦い抜くことが最も肝要である。・我々日本人が今、全身全霊を打ち込んでいる「東亞の建設」ということは、日本の発展の新段階を示している。・東亞新秩序の精神とは、「一つの神、一つの真理、一つの団結」という日本伝統の観念である。

 〇7月16日~17日放送 「思想戦を戦ふ」野村重臣
 簡単に小見出しのみ列挙する。「勝利の秘訣は世界観の統一」「内より蝕む第五列の恐怖」「日本もかつて思想戦に敗る」「日本の戦争は本来が思想戦」「米英を恐れた非国民的論議」※「非国民」という言葉を広めたのはラジオではなかったのか?「急務中の急務 皇道文化確立」

 〇7月20日放送 「海を護る心」海軍報道班員 石川達三
 石川達三は、以下のような報告している。
 「大東亜戦争がはじまってから、わが海軍が世界に比類無き大戦果をあげてゐる。」との書き出しに始まって「その大勝利の原因はどこにあるか」と問い、その根本には「海軍魂」があると語っている。続けて石川は、米軍の空母レキシントンを撃沈した潜水艦の艦長に会って聞いた話として、ある兵曹の美談を紹介している。
 この兵曹は、壊血病にかかって、自分一人では起き上がることも出来なくなった。艦長が見るに見かねて、「艦長室へいって寝ておれ」と言うと、兵曹は涙を流して「艦長、私をこの魚雷の傍で死なして下さい。それで本望です。」と言った。艦長は、彼の希望通りに魚雷の傍で死なせてやるのが本当の武士の情けといふものではないか、と思い命令を撤回した。すると兵曹長は瀕死の姿で、最後の瞬間まで魚雷の調節を繰り返しながら息を引きとった・・・。 
 ※ところで、この石川達三は、「生きている兵隊」で、日本軍の残虐行為を書き(嘘か本当か分からないが)、発禁処分を受けた人物である。戦時中は、こうした戦意昂揚ルポルタージュで儲け、戦後は戦前の発禁処分を一種の「勲章」として儲けるという、石川のような卑怯な作家を私は許せないのだが・・・。

 さて、雑誌「放送」には、番組の放送番組時刻表が掲載されている。これを見ると、朝から夜まで浴びせかけられるラジオ放送によって家庭の主婦も含めて、日本国民全員が、戦争に「総動員」されていたことが分かる。ところで、この番組の中に、午後6時から放送されていた「少国民の時間」という子供向けの番組に注目してみよう。9月の番組紹介記事のいくつかを紹介しよう。
 
 ★今月は二十日が航空記念日に当たりますので、空に因む勇ましい話「空の進軍ラッパ」や少国民の空への憧れを表した「大空をめざす少年たち」等をお送りします。
 ★南と北と言へば皇軍の活躍ぶりは全く地球も狭しといふ感じですね。皆さんも毎日のニュースを聴き乍ら世界地図や地球儀で大東亜の各地を探していらっしゃるでせう。大東亜に関する放送としてマレーの伝説に材料をとった「ドリアン姫の冒険」といふ興味ある劇をお送りします。
 ★歌と言へば今月の「歌のけいこ」は皆さんの中にも御存知の方もあるでせうが「日本の足音」といふ力強い歌をおけいこすることにしました。

 以上が雑誌「放送」昭和17年9月号から分かるラジオの戦争放送の概要である。続けて「放送」昭和18年1月号の内容も紹介したいところだが、目次をご覧いただくだけでお許しいただきたい。
 ここで、私は考える。朝ドラ「エール」では、主人公裕一が、自分が作曲した軍歌のせいで沢山の兵士の命が失われたと悔やむ場面がある。では、上記のようなラジオの戦争放送で一体どれだけの人命が失われたのか?仮に裕一の軍歌を1とするならば、ラジオ放送は、その何万倍、何十万倍もの命を奪ったことになる。ん・・・?何・・・?「いや、当時のラジオ放送は、軍に逆らえなかった」「時の政府の意のままに放送せざるを得なかった」「特高が眼をひからせていた」・・・なるほどなるほど。たんと言い訳するがいいさ!
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