今回は、このブログでも主張してきた、アイヌは「縄文人」の直系の子孫であるとの説が、DNAのゲノム解析から立証されたニュースについて、取り上げてみたいと思う。
先ずは、冒頭に掲げた四つの「電子ニュース」の見出しに注目していただきたい。
最初は、「縄文人の起源、2~4万年前か 国立科学博物館がゲノム分析」と見出しがつけられた日本経済新聞の電子版(2019/5/13)である。
二番目は、「縄文人の女性、お酒強くこってり好き?全ゲノム解析」との見出しで配信された朝日新聞デジタルの記事(2019年5月14日)である。
三番目は、「縄文人、中国の漢民族と共通祖先を持つ」との見出しの「中国網Japanese.CHINA.ORG.CN」の記事である。
四番目は、「国後島で竪穴住居跡100軒発見 大半は2300年前 学術交流団」という見出しの北海道新聞電子版の「2019年6月15日」の記事である。
これらのニュースの見出しには、どれも「アイヌは縄文人の子孫」とは出ていない。しかし、記事を読めば、「アイヌの人々は縄文人の直系の子孫であることが分かるのである。ところが、記事を読んでも、この大事なことが書かれていないのが、二番目の「朝日新聞デジタル」と三番目の「中国網」なのである。
私は、この件についていくつかの電子ニュースを見てみたが、もっともポイントを押さえて正確に事実を伝えている記事は、最初の日本経済新聞のものであった。
その主な内容は、次の通りである。※番号や下線は引用者がつけたものである。
① 「国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万~4万年前とみられることがわかったと発表した。」
② 「国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。」
③ 「特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。」
④ 「東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノム10%受け継ぐ一方、北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。」
⑤ 「船泊遺跡で発掘された女性がアルコールに強い体質であったことや、脂肪を代謝しにくくなる遺伝子の変異を持っていたことなどもわかった。」
④に注目していただきたい。「東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノム10%受け継ぐ・・・」という記述は、何を意味するのか考えてみよう。つまり、日本人の一割は、縄文人の血を引いているということである。また、「北海道のアイヌの人たちでは割合が7割」という記述は、アイヌの人々は、縄文人の直系の子孫であることを証明していると言える。縄文時代から何千年も経て、なお、「7割」という数字が、正にそのことを示している。更に、北海道から遠く離れた「沖縄県の人たちで3割」という、東京のサンプルの3倍の数字は何を物語っているのか。このことは、縄文人が沖縄から北海道まで、日本列島の全域に住んでおり、その後に大陸から弥生人がやってきたことを示している。つまり、今日の「日本文化」は、言語や宗教、習俗も含めて、縄文文化の基層の上に弥生文化が重なって形成されたことを裏付けているとも言えるのである。
以上のことを念頭に置いて、朝日新聞デジタルの「縄文人の女性お酒強くこってり好き?全ゲノム分析」との見出しの記事を検討していくことにしよう。実は、この記事は、合田禄記者の署名記事なのである。
さて、合田記者によれば、記事の概要は次のとおりである。
礼文島で発見された縄文人の女性は、「脂っこい食べ物を食べてもおなかを壊したり、体調を崩したりしないような高脂肪食の代謝に有利な特徴があることがわかった。」「こうした特徴は」「狩猟生活をしなくなった現在の日本人にはほとんど見られなくなっているという。」「当時、中国大陸ではすでに農耕が始まっていたが、縄文人はなお狩猟に頼っていたらしい。」という文の下に、次のような記述がなされている。
「また、遺伝子の多様性があまりないことから、縄文人は少人数の集団での生活を約5万年にわたって続けていたと推測された。現在の韓国人や台湾の先住民、フィリピン人に近いという。」
この記述の下には、昨年の分析結果から、この縄文女性の目や髪、肌の色などの特徴や、頭蓋骨からの復元像を公表していたという。そして、神沢研究員の「古代ゲノム研究で常に参照されるデータになる。現代人にみられる遺伝的な病気の起源を知ることにも重要だ」という話で締めくくっている。
この記事を読んだ読者は、一体どう受け止めるだろうか。
先ず第一に、神沢研究員らの縄文人のゲノム分析の研究の狙いは、縄文人と現在の日本人との関係の解明ではなく、「健康」や「生活様式」の違いを明らかにするためのものだったと受け取るだろう。
そして、何よりも注目すべきことは、「本州人の10%、アイヌの人の7割、沖縄の人の3割」が縄文人の遺伝子を受け継いでいるという、事実を全く伝えていない点にある。
また、疑問が湧いてくる。「また、遺伝子の多様性があまりないことから、縄文人は少人数の集団での生活を約5万年にわたって続けていたと推測された。」という記事である。日経の記事では、「縄文人の祖先となる集団が東アジア大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前である」という。そこからどうして「縄文人は少人数の集団での生活を約5万年にわたって続けていたと推測」できるのだろうか。
更に、合田記者は、このあと「現在の韓国人や台湾の先住民、フィリピン人に近いという。」と述べている。この部分を読んだ読者はどのように受け止めるのであろうか。おそらく、大多数の読者は、縄文人は、現在の日本人やアイヌの人々とは遺伝子的な関わりがなく、韓国人や台湾の先住民、フィリピン人に近い人たちであった、と受け取るだろう。
何故、合田記者は、縄文人とアイヌの人々、日本人や沖縄の人々との遺伝子的な繋がりを記事にしようとしなかったのだろうか?なにか、都合の悪いことでもあったのだろうか?
そして、中国網の「中国の漢民族と共通祖先を持つ」 との記事である。この記事では、「日本の国立科学博物館などの研究チームは13日、古代縄文人の遺伝情報の解析に成功したと発表し、縄文人が中国の漢民族との共通祖先を持つと推測した。」と紹介している。果たして、神沢氏らの研究チームは、「縄文人が中国の漢民族との共通祖先を持つと推測」する研究成果を発表したのであろうか?神沢氏らは「縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万~4万年前とみられることがわかった」と発表したのであって、「縄文人が中国の漢民族と共通祖先を持つ」などとは、一言も述べていない。正確に言えば、モンゴロイドに属する縄文人の集団が、東アジアに住んでいたモンゴロイドの集団からわかれたの時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかったのであって、その後、大陸に住んでいた集団が、漢人やツングース、韓国朝鮮人、蒙古人などのいくつかの民族集団を形成したのであるが、そんなことは、これまでの研究で分かりきったことであり、今更「中国の漢民族と共通祖先を持つ」と、「漢民族」を強調する意図は一体どこにあるのか?との疑問が湧いてくる。
さて、最後に「国後島で竪穴式住居跡100軒発見 大半は2300年前 学術交流訪問団」の見出しで配信された、北海道新聞電子版(5月27日)の記事を取り上げてみよう。
同記事によれば、「国後島を24日から27日まで訪れていた北方四島歴史・文化学術交流訪問団(団長 右代啓視=うしろ・ひろし=北海道博物館研究部長)は、27日午後、根室市内で記者会見し、同島中部オホーツク海側のヤンベツ砂丘遺跡で続縄文文化期などの約100軒の竪穴住居跡を発見したと発表した。」という。
「大部分が2300年ほど前の続縄文文化期、一部は8~9世紀のオホーツク文化期のものとみられる。」
「訪問団は26日、同島オホーツク海側南部のオタトミで17~18世紀のものとみられるアイヌ民族のチャシ(とりで)跡も五つ発見した。」
これが、記事の概要である。
この記事と、5月13日の記事を合わせて考えると、「アイヌの人々は縄文人の直系の子孫であり、その文化は、縄文文化を受け継いでいる。」と考えるのが、最も自然な考え方であろう。
アイヌは「原日本人」である、と題したこのブログは、今回で一応終了することにしたい。アイヌの人々の文化及び縄文文化との関わりについては、まだまだ、取り上げるべきことが山ほどあるが、他日を期したい。